Gen00526 「科学と報道」原子力7・核拡散(科学朝日7月号)

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科学朝日に連載中の「科学と報道」(7月号)を関連発言に掲載します。
「原子力」シリーズの4回目。70年代後半に核拡散問題がクローズアップ。
                            管理人

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科学と報道 7 

 原子力<その4>核拡散
                            柴田鉄治
                  朝日新聞出版局次長/しばた・てつじ

 70年代に入って環境問題の噴出とともに原子力への疑問や反対の声が高まっ
たが、それによって多少スローダウンしたとはいえ、原子力開発は着々と進んで
いた。
 日本の原子力開発の基本戦略は「核燃料サイクル」の確立にあった。使用済み
の核燃料を再処理してプルトニウムなどをとり出し、もう一度核燃料として使お
うという構想である。ウラン資源の少ないわが国としては、当然の選択として早
くから長期計画の基本に据えてきた。

 カギを握るのは、再処理技術である。実験段階の日本原子力研究所から、やが
て原子燃料公社(のちの動力炉・核燃料開発事業団)に引き継がれ、茨城県東海
村に再処理工場を建設することになる。1日の処理量が0.7ないし1トン程度
とし、英国とフランスから技術導入することも決まった。
 原研や原発の誘致には積極的だった地元も、さすがに再処理工場ともなると、
慎重にならざるを得ない。すぐ近くに米軍の射撃演習場があったことともからん
で、茨城県議会が反対決議をするなど着工までは、紆余曲折があった。

 ようやく71年6月に着工、技術的な「紆余曲折」も克服して、77年、約6
百億円を投じた再処理工場が出来上がる。通水作動試験、化学試験、未照射試料
によるウラン試験と終わって、さあいよいよ試運転というところで、関係者がア
ッと驚く事態が起こった。アメリカ政府が運転に「待った」をかけてきたのであ
る。
 日本は、アメリカから濃縮ウラン燃料の提供をうけており、日米原子力協定に
よって、この核燃料の処理には米国の同意を得なければならないことになってい
たからである。


再処理、米からの「待った」に愕然

 米側の主張の論拠は、再処理によるプルトニウムの抽出は、核兵器への転用の
危険をはらんでおり、核拡散防止の立場から認められない、というのである。
 この背景には、74年に行われたインドの核爆発実験があった。米国はこの核
実験に驚き、核不拡散政策を抜本的に見直しはじめた。

 それまでの米国の核不拡散政策は、68年に制定した「核拡散防止条約」の加
盟国をふやし、条約による国際査察を強化して核拡散を防ごうというものだった。
が、インドの核実験をきっかけに、それでは不十分だとする声が一気に高まった
のである。とくに、「核拡散防止のためには、原子力開発が犠牲になってもやむ
を得ない」とまで主張するカーター氏が、77年1月に政権の座について、その
方向が一段と強化された。

 一方、驚天動地の思いをしたのは、日本の原子力関係者である。反対派からの
突き上げなら驚かないが、これまで原子力開発の推進役であり、指導役でもあっ
た当の米国から、「反対」を突きつけられたのである。しかも、こともあろうに
核兵器への転用の恐れ、という理由なのだ。
 日本側としてみれば、日本は世界で唯一の被爆国であり、絶対に軍事利用はし
ないという決意を固めて、原子力開発に乗り出した。そのことは原子力基本法に
も明示されているし、国是とされている「非核三原則」もある。そのうえ、核拡
散防止条約にも加盟し、国際査察も受け入れている。いまさら「軍事利用の恐れ」
とはなにごとか、というわけである。

 しかし、米側の論理は全くすれ違う。軍事転用はしない決意といっても、それ
はいつ変わるかわからない。やはり「核兵器の原料」を蓄積させないことだ。そ
れに、日本に軍事転用の心配はなくとも、日本に認めれば、他の国に禁ずるわけ
にはいかなくなる。米国は、この政策を推進するため自国の再処理工場も高速増
殖炉の開発も凍結したくらいだから、特別扱いなんてできない、というのである。
 77年の春から夏にかけて、この問題は、日米間の最大の懸案となり、首脳会
談を含めて、連日のようにトップニュースとして報道される騒ぎとなった。

 主な新聞記事を拾ってみると、

 「米が厳しい態度/交渉団、了解得られず/決着は首脳会談の場へ」(77年
2月28日)
 「首脳会談で決着断念/米に継続協議主張へ」(3月8日)
 「日米交渉が本格化/小委設置まず合意」(4月9日)
 「米、東海村計画の変更要求/今夏試運転認めず」(4月16日)
 「7月試運転は困難に/凍結求め米が親書」(6月1日)
 「米、調査団派遣を提案/混合抽出法を探る」(6月5日)
 「大統領に決断求める/月末にも三次交渉」(8月6日)

 日本側は必死だった。平和利用に徹する決意を繰り返すだけでなく、日本の原
子力政策は再処理を前提に組み立てられていること、6百億円もかけた施設が動
かないとなると、政府の原子力政策の信用は失墜し、原子力開発全体が崩壊しか
ねない、と熱心に説いた。だが、米国も新政権の威信にかけて、なかなかウンと
いわない。

 日本は、同じように米国の核不拡散政策に不満を抱く西欧諸国と共同戦線を張
り、からめ手からもゆさぶった。これが効を奏し、米国も少しずつ軟化、国際核
燃料サイクル評価会議(INFCE)を設け、そこで原子力開発と核不拡散の両
立の道を探ることを前提に、最後は、「2年間、処理量99トン」を限度に運転
を認めることで決着がついた。


原子力技術の「弱点」浮き彫りに

 再処理をめぐるこの日米紛争は、原子力技術が核兵器技術と基本的に共通する
ものだという事実をあらためて浮き彫りにした。
 同時に、わが国では、平和利用に徹する保障として「自主、民主、公開」の原
子力三原則を定めているが、「技術の共通性」の前には、この「公開の原則」も
吹っ飛んでしまうことも、明らかとなった。プルトニウムの抽出技術を公開する
と、核保有をめざす国に流れてしまう恐れがあるからである。
 再処理だけでなく、ウラン濃縮技術も同様だ。原発の核燃料は3パーセント程
度の濃縮ウランでよいが、同じ濃縮技術を繰り返せば、核兵器の原料となる高濃
縮ウランがつくれる理屈だからである。

 岡山県人形峠にある動燃のウラン濃縮工場は、窓ひとつない建物が二重三重の
厳重な警備のなかにある。他国に技術が漏れないよう、公開の原則より核拡散防
止の方を優先させているのだ。
 技術の機密保持だけではない。製造されたプルトニウムが盗まれたり、強奪さ
れたら大変なことになる。核物質の厳重な管理、警護が必要とされるゆえんだ。
 つまり、核兵器技術と共通するということで、原子力技術は大きな重荷を負っ
ているのであり、他の技術とは違う「弱点」を持っているのだといえよう。

 ドイツの未来学者、ロベルト・ユンクが「原子力帝国」という著書を出したの
が、77年秋(日本で翻訳が出たのは79年秋)である。原子力開発が進むとし
だいに、原子力技術の機密保持や核物質の管理、防護などが厳重になって、社会
は硬直した管理社会となり、やがて民主的な精神も失って全体主義的な「原子力
帝国」に変質していかざるを得ない、と警鐘を鳴らした内容である。

 従来の原子力反対論のなかにはなかった新しい論点であり、同書はたちまちベ
ストセラ−となって、ヨーロッパを中心に原発反対運動に大きな影響を与えた。
 原子力は、地上にどんどん放射性物質を蓄積していく環境問題の「弱点」に加
え、核拡散の恐れという「もう一つの弱点」があることを人々に強く印象づけた
のが、70年代後半だったといえようか。

#0002 sci3052  8906222220

 私は「日本は唯一の被爆国」というウソが世間にまかりとおっているのがき
わめて不愉快なので、一言書かせていただきました。
 
 「・・・というわけだ」で文が終わっているので、柴田氏の言葉として書か
れたわけではないが、「唯一の被爆国」とカギかっこででもくくってほしかっ
た。マスコミ関係の方には特にこの言葉は注意して使っていただきたいので。

 核の問題が世界中を巻き込んで複雑、かつ解決困難になっている今、このウ
ソで日本人が変な特別意識を持つことは百害あって一利なしです。

 ウソということがピンとこない方は、太平洋諸国やアメリカ本土での核実験
に関する書籍をお読み下さい。特に太平洋でフランスが何をしているかという
ことは、もっともっと多くの人々がしっていなければならないことでしょう。

#0003 sci3598  8907132203

原子力発電所の社会&経済性について
アメリカのどっかの(確かニューヨーク州だったが)原子力発電所が、有り難い
ことに州政府に電力会社がたった1ドルで売り飛ばした、ってな報道がありまし
た。どーしてこんな、「1ドル」って価格が成立するんでしょう?確かに原発の
対社会コスト(誰もが有用と考えることでの

価値、また原発によって事業を維持している企業体ならびに就労者にとって、「
原子力発電所」ってのは即座に消滅してもらってはこまる存在なんでしょうね。
でも、1ドルですよ????ボクだったら1ドルで原発を購入しても、面倒を避
けたいと思うのですが。昔、シューマッハという偉い先生(スモール・イズ・ビ
ューティフルというコトバを提唱されたので有名)が、:人類が月に到達したの
は凄い、でも月から帰ってこないんだったら
もっと凄い:ってなことを発言されたことがあります。原子力って、そうした見
解と相似したところがないでしょうか????

さて、私の発言はとってもまとまりがないのですが、要は「原子力」というテー
マを選択しても、結局は人間の価値観や世界観に根ざす問題になると思う−−と
言いたいんだと思います......すみません、じゃましたように思います。